2008年12月20日(土曜日)


大事なことは、思い込まないことだと思う。友達が大事だ、と思い込まないこと。でも、孤独が最高だ、とも思い込まない。当然だと思われるもの、慣れ親しんだもの、これだと決めたもの、をいつも疑って、またその疑うことも疑う。それくらいにしていてちょうど良いくらい、人間というのは思い込みが激しい。思い込んで、考えることをやめようとする。考えるというのは、自分との対話だから、結局は自分と口をきかなくなっていくのだ。もっと話を聞いてやってはどうだろうか。

via: MORI LOG ACADEMY: 自分との対話を

僕は小学校4年生のときに初めてラジオを作った。しかし、もっとまえからハンダづけをしていたし、従兄弟のお下がりでもらった科学雑誌に、ラジオの作り方が子供向けに書かれているのも読んでいた。ラジオはもちろん家にあったけれど、TVや自動車などと同じように、それは「難しい技術」であって、子供に理解ができるとは考えていなかった。しかし、雑誌に書いてある回路図は予想外に簡単で、自分でも作れそうだったのだ。ただ、部品をどうやって手に入れれば良いのか知るのに1年以上かかった。  ラジオは作ったら鳴ったけれど、自分が作ったものの理屈がわからないのは癪だった。だから、図書館で電子工学の本を借りてきて読んだ。漢字が読めないから何度も辞書を引いたけれど、カタカナの言葉は辞書に載っていない専門用語が多かった。それでも、そこに書かれている「理屈」は凄いと思った。TVもこれと同じ理屈で動いているのだ、とわかったし、それが、自分でもやろうと思えばできること、作れるものだということが嬉しかった。  少しまえだったら、コンピュータのプログラミングをした人が多かったと思う。そういう人たちは、今、どんなソフト、どんなゲームを手にしても、それがあのプログラミングという作業によって作り出されていることが想像できるだろう。つまりそれは、大変ではあるけれど、手の届くところにある技術なのだ。はるか雲の上の世界ではない。でも、プログラミングの経験がない世代には、それはどう感じられるだろう?  子供たち相手に、実験を楽しく見せよう、といった企画がこの頃多い。まるでショーのようだ。楽しければ興味を持つ、と大人は考えているみたいだけれど、そのショー自体が完全に演出された「番組」であって、子供たちはチャンネルを変えるように、すぐに自分の世界へ戻っていくだろう。楽しいものなんか、いくらでもある。子供の世界に、ものの「理屈が必要である」という理由がないから、それはやはり「いらないもの」になってしまう。自分で調べ、自分でなにかを作らないかぎり必要がないものなのだ。

via: MORI LOG ACADEMY: 僕には理屈が必要だった