2008年12月16日(火曜日)
小説の場合も、リアリティを持たせるには、現実のとおりの設定でそのとおり真似をすれば良い、というわけではない。現実は既に存在し、誰もが知っているわけだから、実在するものを作品に登場させると、物語が逆に嘘っぽく見えることだってある。リアリティというのは、作家がイメージした世界の整合性のことだ。この整合性を読み手は感じ取って、その世界の存在感を抱く。
実験的研究には、実験の目的、方法、そして結果を述べたあとに、かならず「考察」が述べられる。ここが実験の成果といえる部分だ。観察された結果をどう受けとめるのか、という実験者の意見が述べられる。
同じ結果を見ても、考察には差が出る。分析の結果、どんな傾向があって、何が原因か、という推定が行われるけれど、ここでも主観が入る。その場はそれで終わりだが、この違いは、次のステップへ進んだときに顕著となる。つまり、考察の補強を行うため、推測した傾向を確認するような要因の実験が次に計画されるだろうから、ここで過去のデータの捉え方の差が出る。仮説が正しければ、そのステップは確かな前進になるが、仮説が間違っていれば、まったくの徒労に終わる。
結果をグラフにして、そこに線を引き、こんな傾向があります、というだけが考察だと思っていると、いつまで経ってもそのデータから抜け出せないよ、という話を学生にする。そうなのだ、我々は「抜け出したい」のである。これを再確認しよう。実験がしたいのではない、実験なんかしなくても結果がすべて予測できる世界を夢見ているのだ。