2008年12月12日(金曜日)
本を少しずつ整理しているが、やはり自分の本を捨てる以外にないという結論に達しつつある。発行時に送られてくる初版 10 冊の見本や、重版になるごとに届く2冊ずつの見本が、計算すると 2000 冊以上あるわけで、これを処分しないかぎり片づかないのだ。日記やエッセィや庭園鉄道の本、それから絵本は、友人にあげたりする機会もあるだろうし、これまでも自分で何冊か買って配ったりしている。それらは将来も持っている価値があるだろう。しかし、小説はそういった見込みはまずない。読み直すこともないし、きっぱり捨てても良い。 出版社の人は、とにかく小説が大事、という態度を取る。もちろん文芸の人だから当たり前だ。それに、ビジネスなのだから、売れるものほど大事なのはわかる。ただ、作家がどれくらい労力をかけたものか、どれくらい気持ちを込めたものか、という点を少しは考慮してもらいたいときもある。売れはしないけれど、作家にとって大事な作品というのは確実に存在するはずだ。作家の一番近くにいる担当編集者だったら、これは理解しなければならないだろう。べつに、そういう本ばかり出せとか、その本の部数を増やせという要求では全然ない。作家の価値観を理解することが、担当の手腕だと思うし、むしろ、こちらの方がビジネスとして打算的なことをいっているのかもしれない。 価値というのは、作る側が一番よく知っている。人が作るものすべてにこれがいえる。どんなに人気があっても、取るに足りない作品だという場合もあれば、どんなに貶されても、傑作だという揺るぎのない確信を持てる作品がある。いくら大勢がそれを欲しがっても、それは一時的な価値であって、普遍的な作品の質ではない。