2008年10月17日(金曜日)
毎日を楽しく過ごすことが、たぶん、人生の目的だと思うけれど、しかし、その日その日だけ、その場その場だけの短絡的な楽しみに流されてしまうと、そのうち虚しくなってくることがある。虚しくならない人間もいるので、そういう人はどこまでもそのままで良いと思う。 やはり、ときどきは新しいことがしたいとか、もっとなにかを積み重ねていきたいとか、そういった気持ちになるものだ。発展志向というのか、そんな大層なものでもないし、人によってスケールは様々だけれど、やはり「成し遂げたい感」に憧れるわけである。 そんな「なにかをしたい」という気持ちが確かにあるのに、実に不思議なことだが、自分は何がしたいのだろう、なんて考えることがわりとある。何が好きなんだろう、とも迷う。そんな基本的なことがわからないのか、と苦笑したくなるかもしれない。しかし、案外はっきりとしていない。それを探すことがとても難しいときがあるし、好きなものが見つかると、もの凄く嬉しかったりする。 たとえば、ネットには検索エンジンがある。ここで、キーワードを入力して関連サイトを探すことが多い。仕事で使うときは別として、のんびりとした暇な時間に、キーワードを入れて探すものがある、その分野でわくわくするものを見つけたい、というのは「素敵な状態」なのではないか。いつもこれを探している、というキーワードをあなたは幾つ持っているだろう? 穿った見方をすれば、満たされていないから探すわけであって、つまり不満だから楽しい、という分析にもなる。なんでもそうだけれど、追求すれば追求するほど、目標は遠くなる(あるいは高くなる)ものであり、そのうち、もうそこへ到達できなくても充分に幸せだと感じられるほど、そのプロセスが楽しくなるだろう。