2008年09月30日(火曜日)


少し見る角度が違う話だが、創作には、作る対象から入る道と、材料や方法から入る道がある。目的か、あるいはプロセスかだ。作りたいものがあって、それに適する材料や方法を探す場合と、使う材料や方法がさきにあって、それに適する対象を考えて作る場合だ。あらゆる創作がこの2タイプに大別される(もちろん、きっちりと分かれるわけではないが)。映画なら、物語に適する俳優を捜すか、俳優を活かす物語を考えるか。彫刻ならば、作りたいものがあるか、使いたい材料があるか、である。 そして、情報でもこれがいえる。自分の言いたいことがあって、それに適するものを探してくる場合と、とにかく使えそうな情報をまず探し、そこから言いたいことを発想する場合だ。 豊かになれば、必然的に素材が世間に沢山出回ってくる。だから、まず材料がある、という創作が増える傾向があるかもしれない。「これが面白いから使おう」「これを活かす場所はないか」とみんなが考えるようになる。そういう時間を長く過ごすと、なにものにも囚われない自由な発想が難しくなるだろう。周囲に支配されている、と感じ、自分が求めているものは何かを、あるとき自問することになるはずだ。 本当に、自由ほど難しいものはない。

via: MORI LOG ACADEMY: 自由ほど難しいものはない