2008年09月25日(木曜日)


たとえば、アメリカの大企業の社長ともなると、何百億円といった年収の人がざらにいるが、彼らは収入の大半を慈善団体などに寄付している。そうやって社会的な立場を得る。金持ちとは、恵まれない人のために働いた尊敬すべき人たちだ、というのが、アメリカ人の一般的な認識なのだ。日本人は、金持ちといえば「なにか悪いことをしている輩」と直感するようだけれど、それは、日本の金持ちが、大した給料をもらっていないため寄付もできないし、それどころか、会社の金をこっそり使ったり、権限を利用して私腹を肥やさないと元が取れないし、といった「貧しさ」を抱えているからだろう。ようするに、組織ならともかく、まだ個人の金持ちが身の回りの「内需」に応えるまでには至っていない、ということである。

via: MORI LOG ACADEMY: どこでも内需拡大?


これからまた景気を上げていこう、かつての活力を取り戻そう、というのは、また借金をしよう、と言っているのと似ている。そんなことよりも、不況を長く続けても良いから、綺麗に清算をするべきではないか、と常識的には考えてしまう。 行政改革で医療費を削ったりしたことが「後退」だと非難する人もいるが、無理な借金をしてやっていたことを、借金をしないでやれるようにするには、当然、全員が支払わなければならないものが増え、受けられるサービスは減る。 人間は誰でも、自分だけ良ければ良い、今が良ければ未来のことなど二の次だ、人類が滅亡しようが俺の知ったことか、と考える。それは当然だ。したがって、大衆の合意によって決断しているかぎり、未来への借金を繰り返すだろう。やらなければならないことが理屈ではわかっても、実行は難しい。何年までにこうしたい、みたいな宣言だけをして、ツケの返却まで先延ばしにするのがせいぜいである。 さて、強い理性による「救世」は、はたして可能だろうか?

via: MORI LOG ACADEMY: 子孫に借金をする人類