2008年09月02日(火曜日)


き方とか、人生とか、教訓とか、そういう話は苦手だけれど、よく耳にするのは、「ネバーギブアップ」「諦めるな」という励ましである。これは、かなり幅のある意見であって、条件によって判断を間違えないようにしたい。というのも、もしトライしたものが駄目だったとき、「諦めるな」の言葉を信じて、もう一度トライする、何度も同じことをやってみる、という行動に出ても、たいていはまた失敗する。そういうときには、「精一杯やったのだから、しかたがない」みたいな慰めが用意されているようだけれど、スポーツ根性ドラマではないのだから、もう少し頭を冷やして考えてほしい、と思うことがしばしばだ。 僕が今まで生きてきたなかでは、いかに「諦めるか」ということがとても大事だと思わされたことが数多い。子供たちに教えるならば、この「諦め」の判断である。別の言葉でいえば「引き際」だ。引き際を誤らないことが重要。 ここで「諦める」のは、「方法」である。そのやり方ではもう駄目だ。同じ方法を繰り返すな、という意味。そうすれば、少なくとも同じ「目標」をまだ諦めずに済む可能性がある。別の道を徹底的に模索すること。そして、それを試したり検討して、そのうえでやはり駄目だと判明したら、それは「不可能」と見極め、いち早く撤退し、目標を修正すべきである。

「若いうちに挫折を味わうべきだ」という発言も聞かれるけれど、好き好んで挫折を味わう必要はない。失敗覚悟で大きなチャレンジをするよりは、少しずつでも成功を積み重ねた方が良いに決まっている。もし、最終目標を諦めたくなかったら、方法、時期など、ほかのすべてに対して妥協する柔軟性を持つべきだ。ついその場その場の見栄や完璧主義が、この柔軟性を失わせるので、常に自分に注意している必要があるだろう。

via: MORI LOG ACADEMY: 「諦める」ことの大事さ