2008年08月28日(木曜日)


Apple のパソコンや iPod などについてくる白い電源。コンセントの2本足が折り畳めるし、その部分を取り替えて、長いコードも付けられるやつ。あれ、デザインが素晴らしい。iPod touch には、同じ形で 5cm 角くらいの小さいやつが付属していた。これがまた可愛い。iPone では電源がさらに小さくなって 3cm 角くらいになったけれど、さすがに同じ形にできなかったようだ。これになるまえの Apple の電源は、直径 10cm くらいの円盤みたいな形だった。AirMac のベースステーションも、円形から四角になったし。 そうそう、先週買った MacBook Air の箱を開けたら、iPhone の梱包とまったく同じ構造で面白かった。そもそも、Apple の製品はソフト的な使い勝手に素晴らしい統一性があって、これに慣れると、新しい機械や、ソフト、システムになっても、ほとんど同じフィーリングで使える。その統一性が、電源や梱包にまで表れているわけだ。 こういった全体の統一されたデザインをどうやって決めているのだろう。日本のメーカに欠けているセンスだと思う。クルマでもよくそれを感じた。アルファロメオみたいに、共通的なものをデザインに取り入れているメーカは日本にはなかったように思われる(ホンダが、やや意識しているくらいか)。形を見ただけで、メーカがわかる製品って、日本にあるだろうか?

まあ、しかし、国鉄の蒸気機関車とか、大戦中の戦闘機なんかは、かなり統一感があるから、規制によるものもあるだろうし、統一されていれば良いというものでもないか……。 日本の街並ほど、千差万別で統一感のない建物が並ぶところは珍しいだろう。京都などの古い街並では、建物に統一感があって、なんとなく絵になる風景だな、落ち着いているな、と感じる。しかし、こういうのは、材料や工法が限られていたからそうなった、つまりある意味では不自由だったから、ともいえる。今は、選択肢が増え、豊かになったので自由になんでもできる。しかし、だからこそ、「では、本当になんでも良いのか?」と問うべきだろう。

via: MORI LOG ACADEMY: デザインの統一性