2008年08月10日(日曜日)


昨日の、大砲を撃って、どこに人がいるのかがわかる、という話の続き。

そもそも、大砲の弾が落ちた場所(作品の価値)は、そのまま動かない。永遠にそこにある。しかし、人の位置は常に変わる。自分も変わるし、大勢の人たちもそれぞれに変わる。ようするに、大勢の人がいる方へ自分が動こうとしていれば、人の評価を聞いて、作品に関する自分の評価を変更する、という行動になるわけだ。すなわち、違っているのは、自分がどこへ向かいたいのか(そもそも動きたいのか)、という方向性なのかもしれない。

受け手は自分の位置で受け取るしかないが、撃ち手というのは、その人の力量によって、どこへでも弾が撃てる。自分の近くで爆発させる自爆ならば誰でもできるけれど、プロの撃ち手は、はるか遠くへも狙って撃てるだろう。受け手は、弾が爆発した位置が、撃ち手の居場所だと感じるかもしれない。だから、つぎつぎに違う場所へ撃たれた場合は、「あの作家は変わってしまった」と受け取られることも普通だし、また、同じ位置へ何度も撃ち込んでいても、人々が流れていくため、受け手から観測すると「最初は面白かったのに、最近つまらなくなった」と観測されてしまうこともある。

via: MORI LOG ACADEMY: 作品は不動、動くのは人