2007年05月22日(火曜日)
結婚というのは変な決まりだ、とときどき思う。そういう習慣があることは良い。どうして、それが法的にバックアップされているのか、という点が少し納得がいかない。戸籍だって、生まれてからその人について追跡し、もし子供ができたら、そのときに関係を登録をすれば済む問題ではないか。同じ住所に誰と住もうが勝手だし、誰の子供かは、今は検査をすればわかることだし。 結婚で立場が変わるよりは、どちらかが死んだときに、どんな保証を得られるのか、財産をどうするのか、という契約を結ぶ方が良いように思う。手当なども、同居人の認定を受ければ良い。いずれも、いろいろなケースがあるから、個別に対応する方が、自由度があって良い気がする。 夫婦になって同じ姓になるのも、あまり具合が良いことだとは思えない。どちらかといえば、不便な方が多くないだろうか。まあ、これはしかし、名乗るだけのことなので、勝手にすれば良いことだろう。 といって、現在の法律の下では、子供を作るほどの仲になれば、結婚をしなければ不利益がある。だから、結婚するな、という話をしているのではない。このシステム自体が問題では、と思ったので書いた。 核家族になった時点で、古来の「家庭」は既に崩壊している。親と子供だけを含めてファミリィなんてイメージしている向きもあるけれど、それはほんの十数年の短い特別な期間だけのことだ。祖父母が含まれていない以上、今の親もいずれ含まれなくなる。家庭がなくても生きていけるシステムを築いたのが、つまり「都会」であって、ここでは、既に「結婚」が形骸化した儀式になっているとも感じる。将来はどうなっていくのだろう?