2007年12月20日(木曜日)


最近はもうコンピュータのプログラムなんて滅多にしなくなった。一番したのは 20 代の後半で、このときは自分ほどこの仕事に向いている人間はいないだろう、と思ったほどだ。たぶん県下で自分よりプログラムができる人間はいない、というくらいの自信はあった。なにしろ、当時は人口が少ない三重県にいたから……。 高校生のときに数学の難しい問題(「大学への数学」なんかに面白い問題があった)を解いたが、そのときだってこれほど考えなかったな、と思うことが、プログラミング中に幾度かあった。ほんのときどき、それくらい深いところへ迷い込み、もう考えに考えて考え抜くしか、この迷路を抜け出せない、という体験をするのだ。それは身の毛もよだつほど怖ろしいというのか、素晴らしいというのか、信じられないくらい面白い。「ここまで考えられるのだな」と思う一方で、「そうか、ここが人間の限界か」と垣間見える。 たぶん、将棋やチェスの名人とか、あるいは、チョモランマの山頂を目指す冒険家とか、そういう人たちもこんな限界を見るのだろうな(たぶん僕より日常的に)と思ったりする。 このような深い思考というのは、一度ふっとリラックスしてしまうと、たちまち見失ってしまいがちだ。これは未熟だからだと思う。息を止めていないと考えられないことだってあった。こんな領域へ到達しても、たしかに、思考の途中経過を他人に説明することはできない。言語や図形を超えているからだ。考えている自分でさえ、今なにをどうしているのか、整理して示せないことが多い。

ところで、難しい頭脳労働をする人にかぎって、約束までに仕事を片づけるものだ。何故なら、できるかできないか予想できない場合、絶対に期日の約束をしない。締切を守る能力とは、つまり、自分の能力と作業量を見切ったうえで、無理な仕事を断る能力にすぎない。前者は思考力の差、後者は常識的な思いやりの有無。だから、締切が守れないのは、頭が悪いか、性格が悪いかのいずれかである。

via: MORI LOG ACADEMY: 身の毛もよだつ思考経験