2007年10月24日(水曜日)


押井氏も話していたけれど、「なりたい」と思っていたら、知らないうちに「なっている」ものだ。つまり、「小説を書きたい」と口にするような時点で、もう「書けている」はずだし、「小説家になりたい」と思ったときには、もう「小説家になっている」のではないだろうか。べつにライセンスはいらない。小説を書いたら、小説家だと思う。名刺に「小説家」と書けば、小説家だ。 しかし、逆の方向で、たとえば「死にたい」と口にする人は、100%まだ死んでいない人である。本当に「死にたい」と考えた人は、もう「死にたい」と思えない状態になっているわけで、ようするに「〜したい」「になりたい」という言葉が口から出るのは、「できない」「なれない」という意味を含んでいると解釈できる。できないからこそ、願うわけだし、憧れるわけだ。

まあ、そうはいっても、少しは時間がかかる。たとえば、小説を1作書くには、やっぱり数日〜数週間はかかるだろう。だから、「小説を書きたい」という自分の言葉を聞いてから、自分のためにそれだけの時間は待ってあげよう。そして、その猶予を過ぎても小説が書けなかったら、「そんなに書きたかったわけではないのか」とわかる。さらに、小説が書けなかったら、小説家にはなれない。1年後には書けるようになっている、暇になれば書ける、大人になったら書ける、高級なワープロがあったら書ける、コツを掴めば書ける、といったものではないと思う。少なくとも、僕は誰からも書き方を教えてもらわなかったし、また練習をしたこともない。 お金を貯めないとできないものはある。これはちょっと時間がかかる。でもこれさえも、借金という手法があるわけで、本当に望んでいれば、比較的短時間で夢を実現できるだろう。それなりのリスクが伴うだけだ。

via: MORI LOG ACADEMY: 小説家になりたい