2007年09月10日(月曜日)
「先生、教科書から『ら』が落ちました。ちゃんと見れません」 「またですか。最近の『ら』は弱くなってしまいましたね。落ちた『ら』は拾って貼りなおしておくように。それと『見れません』ではなく『見られません』と言うようにね」 「先生、『い』も落ちちゃいました。みんな混乱してます」 「『い』も昔から弱い字でしたからねえ。強力な接着剤を用意しましたから、これで絶対に剥がれないようにしっかりと貼り付けてください。それから『混乱してます』ではなく『混乱しています』と言うように」 「でも『混乱してます』でも意味が通じますけど」 「駄目です! 私たちは正しい日本語を使うための授業を行っているのですよ。まったくおみゃあさんたち……いえ、君たちは自覚がなくて困ります」 「先生、今度は『さ』がたくさん乱入してきました。これでは授業になりません。家に帰らさせていただきます」 「待ちなさい、帰ってはいけません。『さ』を追い払えばいいことです。それと『帰らさせていただきます』ではなく『帰らせていただきます』ですよ」 「わかりました。帰らせていただきます」 「そうじゃないってば。帰っちゃ駄目なの。まったくもう、最近の国語はやりにくくていかんがね。まともに本も読めれん」 「先生、それは『れ』が余分です。『読めん』が正しいです」 「ええんだて! わしは名古屋の人間だで、昔から『読めれーせん』と言っとったの。そんだで『読めれん』でもええんだて」 「でも僕らは正しい日本語を使うための授業を——」 「名古屋弁が正しい日本語でにゃあだと? そんなことあらすか。どこのたーけだ、そんな言っとるのは。ここに出てこやあ。まーあかん、授業がわやになってまったがね
この原理は、飛行機以外のものでも観察される。つまり、自立安定性の良い組織というのは、調子が良いときにはなにもしないでも飛び続けるが、外乱によって一度傾いたときに、なかなか立て直せない。不安定ではあるけれど、機敏な運動性を持っている組織の方が、嵐の中でも飛ぶことができる。不安定な方が、過酷な条件には強い。ただし、操縦者の腕が不可欠ではある。 公務員によって運営されている組織のほとんどは、自立安定性を追求した極致のような形になっている。目を瞑っていても飛べるほど洗練された形なのだが、ちょっと風が変わるだけで、舵を切ってもまったくそれが間に合わない。どんどん傾いて墜ちていくだろう。
だゃあてゃあだな、名古屋弁はよお信長様の昔からニッポンの……」
「先生、教科書から『ら』が落ちました。ちゃんと見れません」 「またですか。最近の『ら』は弱くなってしまいましたね。落ちた『ら』は拾って貼りなおしておくように。それと『見れません』ではなく『見られません』と言うようにね」 「先生、『い』も落ちちゃいました。みんな混乱してます」 「『い』も昔から弱い字でしたからねえ。強力な接着剤を用意しましたから、これで絶対に剥がれないようにしっかりと貼り付けてください。それから『混乱してます』ではなく『混乱しています』と言うように」 「でも『混乱してます』でも意味が通じますけど」 「駄目です! 私たちは正しい日本語を使うための授業を行っているのですよ。まったくおみゃあさんたち……いえ、君たちは自覚がなくて困ります」 「先生、今度は『さ』がたくさん乱入してきました。これでは授業になりません。家に帰らさせていただきます」 「待ちなさい、帰ってはいけません。『さ』を追い払えばいいことです。それと『帰らさせていただきます』ではなく『帰らせていただきます』ですよ」 「わかりました。帰らせていただきます」 「そうじゃないってば。帰っちゃ駄目なの。まったくもう、最近の国語はやりにくくていかんがね。まともに本も読めれん」 「先生、それは『れ』が余分です。『読めん』が正しいです」 「ええんだて! わしは名古屋の人間だで、昔から『読めれーせん』と言っとったの。そんだで『読めれん』でもええんだて」 「でも僕らは正しい日本語を使うための授業を——」 「名古屋弁が正しい日本語でにゃあだと? そんなことあらすか。どこのたーけだ、そんな言っとるのは。ここに出てこやあ。まーあかん、授業がわやになってまったがね。だゃあてゃあだな、名古屋弁はよお信長様の昔からニッポンの……」