2007年09月09日(日曜日)


絵を想像してもらっても良いし、またそのほかの創作を思い浮かべてもらっても良い。 幼児が描く絵は非常に個性的、つまりユニークである。しかし、しだいに自分以外の人間が描く絵を見て、少しずつ他人の個性を自分のものと融合させる。その分、オリジナリティは薄れていく。ただ、融合といっても、反発もある。他人のものを見て、あれでは駄目だ、ああはしたくない、というベクトルでオリジナリティが際立つこともある。それでも、平均すれば、知らないうちに、最初のユニークさは影を潜めるだろう。 さらに、他人に認めてもらいたいという欲求が生まれてくると、受け手のニーズに応えるようなものを描くようになる。褒められた部分を活かし、非難された部分を消していく。一言でいうと、「世間擦れ」である。ようするに丸くなる。万人に受け入れられやすいものに形を変え、オリジナリティはさらに弱まり、普通のもの、多く存在する価値に近づく。 そうでなくても、既に成功を納めている作風から学ぶ機会が多くなる。こうすれば認められるのか、という学習をするので、認められやすいファクタを取り込もうとする。あるいは、逆に、こんなものが少ないのでは、というアンチのベクトルで、自分の作風を調整する場合もある。「オリジナリティを出そう」という行為は、こういった修正によって、実はオリジナリティをさらに薄めることだ。 オリジナリティというのは、持って生まれた先天的なものと、他人との比較など、外界の条件によって生まれる後天的なものと、どちらが強いだろう。おそらくは圧倒的に後者だと思う。ただ、それらを取り入れる目(意思)に、先天的な才がある。そこはなかなか学べない。この天才的な目によって、オリジナルが修正される。どんな天才的なものも、オリジナルのままではけっして誰にも理解されないからだ。

via: MORI LOG ACADEMY: オリジナリティ