2007年08月30日(木曜日)
出版界、あるいはマスコミは、時間に余裕のある予定を組まない、という傾向があるようだ。どうも、〆切から逆算して、ぎりぎりのスケジュールを組みたがる。それが効率が良い、と考えているようだが、大きな間違いだと思う。 たとえば、なにかを作るとき、それに関連する仕事を人に依頼することになるわけだが、人それぞれに自分の仕事を持っているので、当然スケジュールを調整することになる。〆切が迫っているような仕事は簡単には受けられない。特に、才能があって引く手あまたの人ほど調整は難しいだろう。すると結果的に、切羽詰まった仕事であるほど、たまたまそのとき仕事が可能な人に依頼しなければならなくなる。頼みたい人に依頼するのではなく、頼める人に仕事が行く、ということになる。 一方、依頼される側からすれば、明日までにやれ、と言われるよりは、来月まで、あるいは半年後に、と言われる方が、引き受けやすいし、また引き受けた場合も良いものができる可能性が高くなる。作業時間は同じであっても、その仕事が頭の片隅にあれば、ときどき思い出すし、思いついたことをストックできる。ものを作るには、こういった絶対的な時間の余裕が必要なのである。 スケジュールを立てる人間が、基本的に「創作」というものを理解していない。たぶん、「そんな良いものはいらんから」と考えているのだろう。たとえば、雑誌の編集部は、次号のことしか考えていないし、文芸の編集部も、半年もさきに出る本のことは頭にない。そういうふうに仕事が回っているのである。TVも同じだった。1年もさきの計画を練るような人は少ないみたいだ。「場当たり的」と言われてもしかたがないと思われる。 これは、何なのだろう。そんなに未来を見ることが難しいのだろうか。
1年もさきのことを考えたところで、その頃には、自分は同じ部署にいる保証はない、そんな悠長なことは考えていられない、ということかもしれない。組織の中にいる個人には、そういった焦りと諦めがある。だからこそ、組織のリーダが、もっとさきを見て、組織の構成員に計画的な仕事をさせるのが役目ではないか。 長期的な展望は個人的なものに限られ、組織への貢献はあくまでも短期的なものだ、という考えが一般的になっているとしたら、それは組織の存亡に関わる問題である。誰も組織の存亡など知ったことではない? そうかもしれない。しかし、年金騒動もそうだが、社会的なトラブルの多くは、結局はこのメカニズムで生じているように観察される。