2007年08月14日(火曜日)


これまで、いろいろな分野で天才あるいは達人と呼ばれる人たちにお会いしてきたが、ほぼ共通していることに気づいた。それは、「自分よりも上手い人間は沢山いる。とてもかなわない」と口にすることだ。これは謙遜ではなく、正直に感じているところだろう。劣等感とまではいかないまでも、優越感を持つようなところへはまったく到達できない、という気持ちが、なんらかの新しい道を彼らに思いつかせるようだ。自分にしかないものを強く求めるベクトルが、ここで生じる。もし、彼らがその分野で客観的にも主観的にもトップクラスの技術を持っていたら、現れなかった方向性かもしれない。オリジナリティとは、このように、ある種のストレス(あるいは諦め)から吹き出もののように突然生まれるものかもしれない、と感じる。 もう1つ重要なことは、他の才能との差異に敏感であるのに、けっして排除しないことだ。「あれはね、僕が目指すものとは明らかに違う。でも、面白いよね」と彼らは言う。おそらく、こうした広い視野や柔軟な視点を持っていることが、第2の条件だと思う。認めるのではなく、なにものも嫌わない、したがっていつでもどこへでも向かえる、という姿勢だ。 クリエータは基本的に天の邪鬼でなければならない、というのも真理だと思う。人から褒められれば、もう二度とそれをやりたくなくなる。人から貶されれば、何度でも繰り返す。そんな気質がある。

念のために自分の気持ちを少し書いておくが、創作において自分が人よりも優れていると感じたことはほとんどない。上手な人間が周囲にいつもいて、彼らには絶対にかなわない、と思い続けてきた。ただ、研究は別だ。これは、やればわかるが、世界をリードする位置に立って、初めて一人前の研究者になれた、という気がする。そこにしかアイデンティティがない、ともいえる。

via: MORI LOG ACADEMY: ストレスから生まれるオリジナリティ