2007年08月13日(月曜日)
8/8 に【HR】で少し書いた。「引き籠もり」という言葉が、マスコミの過剰な報道によってマイナスのイメージになった。これは明らかな間違いである。多くの才能は、引き籠もりによって仕事を成す。引き籠もらない才能の方が少ない。社会を引っ張っていくのも、また、社会を豊かにする発想も、すべて引き籠もって生まれたものだ。この場合、引き籠もり、というのは、他人に邪魔をされない自分の時間に集中することである。それができない人間は、多くの場合、仕事ができない人間だと思ってまずまちがいない。 外見上、人間が引き籠もっている部分は、見えない。つまり、外側からは観察できない。観察できるのは、出てきたときの様子だけである。だから、仕事をなした人間、あるいは才能に触れるとき、どうしても、外に向かってアピールしている場面ばかりを目にすることになる。その印象で、ついその人物の仕事を評価してしまう傾向があるだけだ。たとえるならば、論文を学会で発表している研究者、新刊を上梓しファンにサインをする作家、テレビのインタビューに登場する有名人、などなど、そんな場面だけが目に見える。けれども、その人物をその立場に立たせたのは、見えないところに籠もって彼らが励んでいた行為によるものだ。発表だけする才能というのはありえない。 これは企業や国家にもいえる。日本の企業は、昔のようにもっと引き籠もって研究開発に力を注ぐべきではないか、と最近感じる。また、そういった努力の集合として、国家の力が現れるだろう。