2007年08月11日(土曜日)
デザインの中に数式を使いたい、という希望が過去幾度かデザイナから寄せられたことがある。たとえば、こんな式を使いたいという要望、あるいは、使えそうな適当な式はありませんかという問合わせだ。森博嗣の本のデザインをするとき、理系のイメージとして、モチーフに数式を使いたい、との希望である。しかし、残念ながら実現していない。これはどうしてか。 つまり、式を扱う人間から見ると、式は記号であり、言葉なのである。デザインに使える適当な文章を考えてほしい、なにかタイトルに合う文章はないか、というような依頼と同じなのだ。たとえば、外国人が日本の漢字をデザインに使ったりするが、我々から見ると、それは文字なので読めてしまうから、どうしてもグラフィックスとして見ることができない。英語を読めない人には、Tシャツに英語の文章が書いてあっても、それはただのファッションの意味になるけれど、英語がネイティブの人が見ると、それは読みものなので、笑えてしまうかもしれない。同様に、式が読めない人には、それがモチーフとして使えるマークでしかないけれど、読める人間からすれば、どうしてこんな無関係な式が書いてあるのか、この式は違っているではないか、全然意味をなさない式が何故ここにあるのか、間違っているではないか、という感覚がさきに立ち上がるため、ファッションや模様として認識が遅れる、という逆効果しかない。 Tシャツの胸のところに、「1+1=2」と書かれていたら、格好良いだろう。それは、哲学的だし、その人のポリシィとしても、なかなか深いものが感じられるかもしれない。しかし、Tシャツに三角関数の公式や因数分解の公式が書いてあったら、「こいつは馬鹿か」と理系の人間が見れば受け取る可能性が高い。オイラーの公式が書いてあっても、ちょっと首を捻る。「意味がわかっているのか?」と疑われるだけだ。フェルマーの定理くらいなら、まあ流行のファッション程度には受け取られるかもしれないけれど。