2007年07月13日(金曜日)
評価」というのは、つまり「相対評価」のことである、というのが、仕事では常識だった。必ず、他と比べなければならない。比べなければ意味がないし、それこそが社会的な価値である、というふうに認識されている。ある人物が、ある組織が、ある商品が、どれくらい優れているのか、それは評価値によって他者と並べてみなければ判明しない。 これは確かにそのとおりだと思う。しかし、絶対的な評価ができるものもある。それは自分だ。自分で自分のことを評価するとき、自分と他人を比べる必要はない。もちろん、比べることはできるけれど、しかし、それは既に観測点の条件が違うため、そもそも客観的な相対評価が難しい。 このまえ、読書は宝石を拾うことだ、という譬え話を書いたが、他人が拾った宝石が自分にも宝石なのか、と気にすることは、自分を相対評価しようとしている行為だと僕には見える。 ただ、絶対評価をするためには、自分を見つめる沢山の視点を自分の中に持つ必要がある。世の中の人の多くは、案外自分に関心がなくて、他人との比較ばかりしているみたいに僕には見える。もっと自分に関心を持てば、自然に絶対的な評価眼が生まれるように思うのだが。