2006年11月22日(水曜日)
野球選手の何十億円という契約について話題になっている。また、先日は三重県だったと思うが、お医者さんに数千万円の年俸を出せなかったので、医者がいなくなるというニュースも耳にした。これらの金額について、どうこういうつもりはない。 どうしてもそれが必要な才能ならば、それを買い取るために高額を投じる、という考え方は自然である。ギャンブルでもない。単なる経済原理であって、やましいこと、醜いこと、不自然なことは皆無だ。それなのに、日本人はまだまだブレーキをかけたがる。このブレーキの正体は何だろうか? 不思議である。 まえにも書いたが、日本の大企業の経営者の報酬は安すぎる。スポーツ選手で驚いているけれど、それくらい稼ぐ経営者は、アメリカならば普通にいるわけで、全然珍しいことではない。個人の才能というものをそれだけ評価しているのだ。 そんな高額の報酬で雇われた人間は、自分の資産を投じてでも、その地位を守ろうとするだろう。地位を守るためには、そのチーム、その企業の業績を上げなければならない。つまりこうして、個人の資産がみんなに還元される。 日本はどうか? 個人資産を投じるどころか、会社の金を使って飲み食いすることばかり考えていないだろうか。そういったことができる立場が「役得」などと呼ばれている。地位を手に入れても、個人の報酬が少ないために、逆方向の還元を行うことに知恵を絞る。 取り締まっても取り締まっても汚職はなくならない。これは、基本的な部分に間違いがある。貧しいことが普通であるというような不思議な平等意識から、トップの給料が安く抑えられている。政治家も先生も公務員も、給料が安すぎるのだ。 税金を無駄遣いされたくないのなら、政治家や公務員の給料をもっと高くして、合理的な仕事ができる才能を集めるべきではないのか。何故、その発想にならないのだろう? 精神論を持ち出すまえに、必要なもの、欲しいものには価値があり、その価値に相応しい値段をつけるべきだ。金で動くことが汚いことだと考えているうちは精神が貧しいし、貧しいことは、豊かなことに比べれば、明らかに不健全である。