2006年11月04日(土曜日)


どこへ行っても感じることだけれど、いろいろなスペシャリストがいる。そして、かつてよりは、より専門的になり、どんどんスペシャルになっている気がする。昔は、今より平均的にジェネラルだった。だから「ああ、昔はこんなふうでしたね」と懐かしい話をしても共通するものがある。でも、今は、みんな異なる場所にいて、お互いに独立を認識し合い、尊重して、踏み込まないように気を遣っていることが多い。 では、また何年も未来にはどうなるのだろう? 未来の彼らには、共通の過去の話題があるのだろうか。僕は、それは大丈夫だと思う。何故かというと、人間というものが、スペシャルの中からジェネラルを見つけ出し、自分の中にも少しずつ人類共通のものを築き上げる機能を持っているからだ。これが、人間というメカニズムの主たる能力だと思われる。言葉にするならば「抽象力」だろう。 子供を見ればわかる。身の回りの瑣末なことに子供は拘る。世界を最初から概略的に取り込むわけではない。それなのに、いつの間にか、他人との関係、すなわち社会を把握し、自分との関係を直感するようになる。 そうした個人の能力によって生み出される社会性を待たず、頭ごなしに押し付ける関係性が、ファシズムなどに代表されるシステムだろう。そのシステムの内側にいると、悩まなくてもすむので、楽ではある。 オタク的な人が増えたことは、社会性が築かれるのを、辛抱強く待てる社会になったためであり、それは自由で豊かな証しといえるだろう。

via: MORI LOG ACADEMY: 秘密基地視察