2006年10月14日(土曜日)
しかし、本や文章よりもさらに価値があるのは、価値を見出す行為、そのものだ。「これが読みたかったのだ」と思える人、そして、それを手にして本を開くそのときにこそ、価値がある。この幸せを買っているのである。
工作をするには数々の道具が必要だ。そして、工作の達人と呼ばれる人たちは、だいたい自作の道具を持っている。工作のための道具を作る工作をするわけで、非常に回り道をしている気がするのだが、カスタマイズされたツールにこそ、達人のノウハウが込められているのだろう。 これは、プログラムでも似たようなことが観察される。プログラムをするためのツールをプログラムする人がいて、こういったツールが非常に沢山出回っている。1つ作ると共有できるのがプログラムのメリットだ。 「痒いところに手が届く」などとよく形容されるけれど、「痒さ」のような一般的なものではない。一般の人にはとうてい役に立たないものばかりだ。 ツールの工作を専門にしてしまう人も現れる。いわゆる工具マニアが、プロになるわけである。もう、それを使ってなにかを作り出すことはなく、ツールの製作に徹する。明らかに分業である。道具を作る職人というのも、このようにして生まれたものだろう。 ただ、その道具を使って実際に作ってみた経験が大事だ。この経験がない世代が、その道具作りだけを受け継ぐと、やはり目的が見えないためか、単なる「工芸」になり、「伝統」を守るだけになってしまう。 以前にも書いたが、再度ここに書いておく。工作の達人の言葉。
プロは、誰がやっても失敗をしない方法で作る。アマチュアは、プロがやっても失敗する方法で作ろうとする。
誰がやっても失敗しない方法とは、その場その場で、カスタマイズされたツールを用意し(なければ製作し)、それを駆使することだ。狂いのない美しさを生む天才的技法とは、こういった持って回った入念な「段取り」で実現されていることが多い。