2006年10月06日(金曜日)
ここからは、学科の算数に入れようか、どうしようか、と迷った話題。 「カクレカラクリ」の中で、礒貝先生という高校の理科の教師が、こんなことを言う。「今でこそ、庶民の誰でもが、おもちゃを普通に買える時代になったけれど、これも、工業技術が発達して、ものを大量に、安く生産することができるようになったおかげだ。世の中は確実に豊かになっている。物質的に豊かになることは、人の心を安心させ、落ち着かせる。平和であることの必要条件だと思うね。残念ながら、充分条件ではないけれど」と。 この部分の言葉遣いが間違っているのでは、とメールを下さった方が1人だけいた。その人の意見は、「必要条件と充分条件が逆に使われている」というものだった。 たとえ逆であっても、それは礒貝先生の認識が間違っているだけで、作者としてはとやかくいう問題でもないが、しかし、どう考えても、使用法としても間違ってはいないので、数回メールをやり取りしたところ、どうも、以下のように誤解されていたらしい。 「AならばB」が成立するとき、AをBの充分条件(「十分条件」の表記が一般的)、BをAの必要条件という。これは、Aならば必ずBになる(充分な条件だ)、また、BでないものはAにはならない(必要な条件だ)、という意味である。この文面がそのまま頭に叩き込まれていて、その上で、礒貝先生の台詞を、「豊かならば平和だ」と解釈し、適用したのである。そうすると、豊かさは平和の充分条件であり、逆になるというわけ。 しかし、礒貝先生は、そう言っているのではない。豊かであれば、人が安心できる。それは、平和になるための必要条件だ。残念ながら、豊かであれば絶対に平和になる、とはいえないから、充分条件ではないが、と付け加えている。 教科書にも問題集にも、「必要条件とは何か」「充分条件とは何か」「この関係がある場合、これは何条件か?」といった文章しか現れない。この方は、そういった文章しか読まれていなかったのだろう。 必要条件や充分条件は、理系であれば、ごく普通の会話で当たり前に用いる表現であり、言葉の意味を問うようなレベルの人はいない。豊かさと平和の関係を、この言葉を使って、礒貝先生は明確にした。礒貝先生は、話し相手に、必要条件と充分条件の意味を説明しているのではなく、この言葉を既に理解している人たちに向けて、条件の相互関係を示しているのだ。
小説やドラマで、ときどき専門用語が出てくることがあるが、その大半は死んだ言葉である。これこれこういう意味ですよ、と説明する台詞が出てくるからだ。まるで、作者が取材でそれをちゃんと調べましたよ、と言わんばかりである。この意味では、教科書や問題集に出てくる新しい言葉もまた、ほぼ死んでいる。最初は死んでいるのだ(そこから生まれるというのか)。 その場にいる人間たちが皆、その言葉を認識して、普通に使っている状況、それがその「言葉が生きている」という意味である。