2006年09月27日(水曜日)


情報をいかに加工するのかという、いわゆるメディア側は急速にハードもソフトも整った。しかし、コンテンツが不足している。たとえば、プレゼンする技術はあるけれど、プレゼンする内容がない、というような状況といえる。不足しているコンテンツを生み出す人材がどこでも求められている。そういった人材をどのように育てていけば良いのか、という話を学部長としたのだが、僕の考え(本音)は、コンテンツを生み出す才能とは、「育つ」ものではない、というもの。育てる、という発想が既に手法的であり、つまり、メディア寄りではないだろうか。 クリエート(創作)する才能とは、もっと個人的な、もっと孤立した、感性と閃きの世界であって、そこには、ノウハウというものがない。ノウハウがあるものはいずれも媒体の手法なのである。 だから、創作する手法などが授業として成り立つのか、という根本的な問題があるし、そもそも、そういうものを学問として取り扱えるのか、という疑問もある。 しかし、世の中には芸術学部というのは存在する。ただそれは、芸術のうちの手法を教えるところだ。学ばなければならない手法が、どんな芸術にも多かれ少なかれある。そんななかで、それが最も少ない(微々たるものでしかない)芸術が小説だと思われる。 今日は、大学で休憩時間にゲラ校正を1時間半したくらい。それ以外の小説の仕事はできず(この日記は書いているけれど)。

via: MORI LOG ACADEMY: 集中講義