2006年09月07日(木曜日)
このまえ、子供に対して「父親らしいことをしなかった」と書いたが、これは、世間でいうところの父親らしいことであって、僕としては、ちゃんと父親のするべきことはしていたつもりだ。学校の父母参観に出かけたり、休みの日にキャッチボールをしたり、海水浴やキャンプへ連れていったり、などは父親がするべきことのうちに含まれていない、と僕は考えている。もちろん、これは人それぞれ。他人のことをとやかく言うつもりはない。 子供たちがどんなセレモニィ(たとえば結婚式)をしようと、別にかまわない。でも、僕はとくに出席したいとは思わない。そういったことが、親子の愛情を示すイベントだとは全然考えていないだけの話である。 こういったことを、ごく普通の人たちに話す機会はまずないのだけれど、どういうわけかたまたまそんな話になったときに、「どうしてそんなにひねくれているのか」と言われることもあった。なるほど、無理に天の邪鬼に生きているように彼らの目には映るらしい。 別に否定はしない。誤解されたままでもかまわない(具体的損害はない)。簡単にいえば、僕は、ごく素直に、生きたいように、信じるままに、生きているだけのことだ。僕にとっては、子供の学校へ出向くことが、すなわち「ひねくれた」ことであり、家族にサービスすることが、「素直でない」ことなのだ。ただ、それをする人が数として多いと、「みんながするのに、一人だけ我を張っている」と言われる。そう、我を張っているのは、そのとおりかもしれない。 つまり、こうだ。周囲の流れに身を任せることが「素直」な状態である、と世間の多くの人は認識している。一方の僕は、自分の思うとおりにすることが「素直」だと考えている。 子供に対しても同じ。大人の言うことをはいはいときく子供が「素直」だと僕は思わない。考えていること、感じたことを正直に口にして、自分のやりたいことが何かを訴える子供が「素直」だと思う。 ようするに、どちらも素直に生きているのだから、それで良いではないか、というのが結論では?