2006年07月30日(日曜日)


スポーツでもそうだが、やる気がいくらあっても、勝つことはできない。負けたときに、気合いが足りなかったとか、精神的に脆かったとか、そんな言い訳をしているが、多くは戦略的に、あるいは技術的に不足していただけである。歴史的などんな偉業も、不屈の精神力だけで成し遂げられたわけではない。綿密な計算と知恵の集結のうえに、労力と資金が必要だったし、最も不可欠な要因は個人の秀でた才能だった。偶然訪れた幸運によるものでも、それを見逃さなかった才能が必要だった。 しかし、偉大な業績を挙げた人は、きまって自分の才能を謙遜し、ただ情熱を持ってひたむきに努力をした結果だと語るだろう。これは、情熱や努力があった方が有利だ、という意味にはちがいないけれど、それが最も大切で不可欠なものだ、というふうに誤解してはいけない、と僕は思う。勘違いしている人が多いはず。「情熱をもって努力せよ」とは美しい言葉であるが、あくまでも綺麗事である。

via: MORI LOG ACADEMY: 情熱を語ることは容易い


僕のイメージでは、文章は本来デジタルであり、絵はアナログである。

via: MORI LOG ACADEMY: 言葉のニュアンス