2006年06月29日(木曜日)


何度も書いていることだが、鳥の名前を覚えることは理科(科学)ではない。鳥がどんなメカニズムで飛ぶのかを理解することが理科である。 ハミングバードと呼ばれるハチドリの中には、空中停止(ホバリング)して花の蜜を吸うものがいる。ホバリングのとき、鳥の胴体は地面に対して直立した状態になる。つまり、鳥の羽ばたきは、空気を胴体の後方へ送っている。これは、飛行機のプロペラと同じ空気の向きだ。ダ・ヴィンチの頃から、人間がなかなか空を飛べなかったのは、鳥が飛んでいるとき、翼が地面に向かって空気を送っていると勘違いしていたせいである。 さて、上記のような文章に出会ったとき、最初にある「ハミングバード」が、自分にはわからない単語で、だからもう以下の文章は読んでもわからない、斜め読みしよう、という人がいる。ものの名前に拘ることで、いかに多くの情報を自ら遮断しているか、に気づいてほしい。 幼い子供は、すべての言葉の意味が最初わからない。それでも、その中に少しずつ意味や道理を見出し、曖昧なまま、抽象的なまま、自分の中に吸収するのである。だからこそ、あっという間に、あんなに沢山のことを覚え、成長する。なんにでも興味を示す。自分を制限することがないからだ。大人が「これはお前には難しいから」と忠告してもきかない。そういう大人は、自分に対して「これは私にはきっと難しすぎるだろう」と始めるまえから諦めている。 簡単にいえば、具体的なものに拘らず、抽象的に本質を掴むことが重要だ、ということ。具体的なことに囚われるから、制限が生まれる。

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一般に、「AはBである」という言葉は、AとBが同じもの、等しい(A=B)、という意味ではない。たとえば、「太郎は男である」が正しいとしても、太郎と男は同じ意味ではない。現に、「男は太郎である」と逆にすると、正しくなくなってしまう。「逆は必ずしも真ならず」という言葉が当てはまる。 「太郎は男である」とは、男という集合の中に、太郎が属している、という意味だ。数学ではこれを、「太郎 ∈ 男」という記号で表す。 「太郎は男である」「男は動物である」が正しいとき、「太郎は動物である」が正しい。 「動物だからといって、必ずしも太郎ではない」や、「太郎でなければ動物ではない、というわけではない」なども正しい。集合論的に証明できる。また、「動物でなければ、太郎ではない」も正しい。しかし、人形の太郎もあるかもしれないから一概にいえない(この場合、最初の「太郎は男である」か「男は動物である」のいずれかが間違っている)。 面白い小説の集合と、ミステリィ小説の集合があって、両者に含まれるものは、面白いミステリィである。この場合、「面白くもないし、ミステリィでもないもの」とは、「面白いかあるいはミステリィであるもの、以外のもの」と一致するし、「面白いミステリィ以外のもの」とは、「面白くないか、それともミステリィでないもののどちらか」である。これは、有名なド・モルガンの法則。 世の中の人は、たとえば、「僕は牡蠣が嫌いだ」のように決めつける。これは、数学的にはおかしい。これまでの人生で食べた牡蠣がたまたま口に合わなかっただけで、世に存在する牡蠣はもっと多数である。すべてを確かめたわけではないのに、「牡蠣」すべてを「嫌い」という集合に入れてしまうのだ。当然ながら、僕は世の中の人に含まれる。

via: MORI LOG ACADEMY: 集合論