2006年06月20日(火曜日)


文章を書いているとき、「あ、ここは読者が誤解して、きっと指摘が沢山来るな」と思うときがよくある。直すこともあるけれど、そのままにすると、案の定メールが沢山来る。 最近だと、「ジャーロ」の近況。ホームセンタのシール剥がしのことを書いたのだが、ジョークで書いているのに、僕がそれを知らないと勘違いし、「それはこういう商品です」と親切に書いてくる人がきっといるだろう、と思った。 MLAの例だと、たとえば、梅雨入り宣言の話を書いた。「気象庁では宣言などしていない」というメールが来るだろう、と予想したら、8 通来た。これは、以前に一度、どこかで同じ問答をしている。もちろん、気象庁が宣言をやめたことは知っているので、文章のどこにも、僕は「気象庁」とは書いていない。でも、そう読む人がいるだろう。それは、マスコミの今の報じ方で、「気象庁が宣言している」と思い込む人がいるのと同じだ、ということが言いたかった。 また、つい先日はエンジンの話を書いた。「DOHCは最近では珍しいものではない」という指摘メールが来るだろうと予想したところ、23 通も来た。自動車関係というか、マニアが多いことがわかった。僕はどこにも、「珍しい」とか「レーシングエンジン」だとは書いていない。「OHCが普通だ」とも書かなかった。でも、読む人は自分の思い込みで読むのである。DOHCが家にあれば、かなりの車好きが1人いる、と書いたが、日本には、もうほとんどの家にかなりの車好きがいる、と言いたかったのである。メールの数もそれを示しているではないか。そこまでDOHCを増やした国民とメーカを、少し変かな、くらいには思っているが……。 誤解は覚悟のうえであって、このように解説の機会があることは極めて少ない(0.1%くらいか)。ささやかな誤読を誘うような文章が必要なときも当然ある。ジョークのほとんどはそうだ。また、力を持った文章とは、本来誤解のぎりぎりを突いてくる。誤解を必要とする作家もいる。最初から解説するような文章というのは、やはりその種の作家では成立しない。

via: MORI LOG ACADEMY: 予想される誤読