2006年06月16日(金曜日)
何を言っているのか、などほとんど問題ではない。大事なのは、何をしているか、である。どちらかというと、満足に行動していない人の方が、綺麗な言葉でカバーしようとするものだ。
絵を描く人は、「デッサンの狂い」がないかを気にする。これは、絵を描かない人には、意味が通じない言葉だ。デッサンというのは、物の形、明暗を描いた素描のことであるが、普通のデッサンは、対象物を見て、それを紙に写すので、つまり、実際に見ているものとの差が「狂い」になる。 ところが、漫画などでは、実物の対象物は存在しない。すべて想像で描いているわけである。それなのに、どうして「デッサンの狂い」が生じるのだろうか、と不思議に思う人がいるわけだ。 絵を描く人にとって、デッサンが狂っている、とは、文法が間違っている、と同じくらい(絵心がある人間ならば)誰が見ても明らかなものである。ただ、描いた本人が、描いた直後には気づかない。これは、文章でも、書いた直後は間違いに気づかないことがあるのと似ている。 ようするに、客観的な目で見直さないと、デッサンの狂いはわからない。逆にいえば、それくらい、描いている最中は主観的になり没頭している。主観的にならなければ、良い絵は描けないが、ときどき、視点を変えて客観的な目で、デッサンの狂いがないか、すなわち、他人が見たときに変な状態に映らないか、ということを確かめるわけである。 デッサンが正しいものが、本もののとおりであるとか、美しく魅力的であるという意味では全然ない。非常に下手な絵で、まったく魅力がなくても、デッサンが正しいものもある。逆に、デッサンが少々狂っているけれど、そこに味があり、魅力的な絵もある。こういったものは、作者が意図して、デッサンを狂わせている場合が多いが。