2006年06月09日(金曜日)


また、これもスバル氏から聞いた別の話。TV の悩み相談室(彼女はそんなものを見ているのだ)に、老人が電話をかけてくる。夫に先立たれ、子供も病気で死んだ。自分一人になってしまった。それが寂しい。昼食と夕食は届けてもらえるが、朝食はないのでパンを食べている。友達は、近所に2、3人しかいない。これを見ていたスバル氏は、「長生きしたのがいけなかったんじゃない?」と言っていた。僕もそのとおりだと思う。なに不足ないその状況を悩みだと思い込めるのは、もうぼけているのだろう。なにをどうしても、解決はない。 TV のスタジオで、「自分が長生きしたんだから、しかたがないじゃない、そんなの」と言えないのは、どうしてだろうか? 普通に考えられる当たり前の言葉が、TV では言えないらしい。みんな、優等生というか、馬鹿みたいにわざとらしいコメントしか吐けない。もちろん、きっと例外はいるだろう。そういう人間は、お笑いの人で、たぶん「毒舌」なんて呼ばれているにちがいない。そこまで簡単に想像できるくらい、すべてが定式化しているのである。こんな窮屈な世の中に誰がしているのだろうか?

礼節は大事である。思いやりも当然のことである。黙っているのが上品だ。わかっている人はきっと我慢しているのだろう。勇気のある人間が本音を漏らすのではない。我慢が足りない未熟者だから、僕みたいに余計なことを書くのだろう。

via: MORI LOG ACADEMY: 当たり前が毒舌か