2006年06月04日(日曜日)
一般に、「本を読む」という場合の「本」は、「本を買う」という場合の「本」とは異なる概念だ。これは、「テレビを見る」と、「テレビが故障する」の「テレビ」が違うのと同じである。ようするに、コンテンツとメディアを混同している。「本を買い、本を読み、本を捨てた」という場合、最初は両方、次はコンテンツ、最後はメディアを示している。近い将来には、これがもっと明確に区別されるだろう。今は、本というメディアでしか、本が売れないが、確実にそれ以外のメディアの本が台頭するだろう。 ところが、現実には、メディアを生産し、メディアの流通で商売をしている職種が多い。本を書く人間は1人だが、その本を作り、配送し、売っている人間は数多い。コンテンツの生産よりも、多くの費用がかかり、多くの人たちがメディア関連で仕事をしている。ほかの分野、たとえば、音楽でも同じだ。 かつては、メディアには大きな投資が必要だった。これが、ネットが普及した現在では、その大きなハードルが消えてしまい、誰でもすぐに発信ができる。本だって出しやすくなった。必然的に、作り手は多くなり、受け手も、自分の好きなものが選びやすく、また安く手に入れることができるようになった。反面、メディア関連で得られる利益はどんどん下がり、また、発信源が増えたことから、1つのコンテンツがもたらす利益も小さくなる。全体の流れとしては、こうなっている。 もうこれからの時代には、大きくヒットして、大儲けができるものは滅多にないだろう。その代わり、小儲けができる機会は圧倒的に増えるのだが、それがはたして独立した生業として成り立つのか、という問題はある。すなわち、小説家も音楽家も趣味で、つまり副業でやっている、という将来像を想像してしまう。 これまでの社会では、資金力がなければ儲けられなかった。お金をまとめれば、それだけで利益が生まれる時代だった。株や金融や保険関連の根本の仕組みはそこにある。それがやりにくい時代になっているのは、結局は、上記のようなネットやデジタル技術による社会の成熟に起因している。