2006年05月28日(日曜日)
山の中の一軒家で、自分一人で生活することができるだろうか。できる人とできない人がいる。たとえば、食事が作れないとか、洗濯や掃除ができない、などの不可能事があるかどうか、という話ではない。そんなものは小事であって、その場になれば、誰でもすぐにできるようになる。ただし、毎日レストランで食事をする生活しかできない、したくない、という人は少し困るかもしれない。 僕自身はできると思う。人と会うことがなくても、特になんともない。友人に会いたいと思うようなことは若いときからなかった。おそらく、スバル氏もそうだろう。犬くらいいた方が良いかもしれないけれど、基本的に一人でいることが好きだ。 人間関係ができるだけ少ない方が良い。大勢でわいわいがやがやとすることに価値を見出せない。そういう時間がもったいないとさえ感じる。世の中にはそういう人がどれくらいいるのか。かなりいるだろうと思うが、しかし、我慢をして人とつき合っているにちがいない。特に、若いときには、つき合わないと立場が守れないことが多いのだ。早く自分の立場を築き、そののち、周囲の人間関係を整理すると良い。最初から関係を切ってしまうと、立場自体が不安定になって、結果として逆に一人で生きられなくなるように感じる。変な話だが、だいたいその傾向がある。
話はここで変わるが、「個人主義」という言葉がある。これは近代社会の一つの基本になっている考え方だ。社会において、個人が尊重されるようになったのは、まだせいぜい数百年まえのことである(日本はもっと短い)。今は、ほぼ世界中で個人を基本とした社会が作られつつある。individualism の訳語である。 よくこの言葉を、「あいつは個人主義だよね」と間違って使っている人がいる。単に「自分勝手な人」というだけのニュアンスなので、明らかな誤用だ。しかし、「個人主義な奴」「自分勝手な奴」のいずれも、人からそう思われることに僕は抵抗を感じない。 できれば、自分勝手になりたい。自分勝手になれるように、若い頃から努力してきたつもりだが、これがなかなか難しく、ちっとも自分勝手になれない。自分勝手に憧れて、これまで生きてきた。もっと自分勝手に近づきたい、と今も考えている。 世間で非難されるところの自分勝手というのは、むしろ他人にだけ厳しい人間のことである。自分だけ勝手にすれば良いところを、周囲の人間を巻き添えにする。たとえば、自分はなにもできないのに、調子が良いときだけ威張り散らし、他人に命令する、他人を非難する、というビジョンだと思う。これは、自分勝手というよりも、他人に干渉する、他人勝手ではないだろうか。