2006年05月18日(木曜日)


国際化という言葉は、既に充分に使い古された感が強い。30 年以上まえから、「これからは国際化の時代だ」と叫ばれてきた。仕事を獲得するためにビジネスマンが積極的に海外へ進出した。しかし、日本の文化は、いったいどれだけ世界に対して発信されただろう。国際化というのは、商売ばかりではないはずだ。 世界に向けて積極的に宣伝する必要はない。たとえば、インターネットで調べたとき、「それがある」ということが確認できるだけでも良い。それが第一歩である。せめて、世界が読めるページが1枚用意されているだけでかなり違う。 あるいは、日本の言葉や文字で書かれていても、それを見ることができるなら、それでも良い。読みたい者は、自分の辞書を調べれば読めるだろう(そのかわり、文字をグラフィックスにして表示しておく程度のサービスは必要になるが)。 たった、それだけの姿勢が、なかなか示されていないように思う。英会話がどうこうとか、世界進出がどうこうとか、そういったことのまえに、やるべきことがあるのではないか。 これまたたとえばの話だが、個人で HP を持っている人たちが、自分の町にある文化を、あるいは自分の得意な分野を、少しだけ紹介する英語のページを 1P でも作れば、あるいは、写真のキャプションだけでも英語にすれば、それが情報の発信になる。それらが集まって、日本の文化が世界に示せることになるだろう。たった、それだけのことである。 もちろん、コンテンツがなければならない。世界の誰かにとって価値があるだろう、というものを見つける必要はある。そういったものが身の回りにないだろうか、自分自身の中にないだろうか、と探すことが、すなわちグローバルなスタンスなのだ。 国際化というのは、海外に出かけていくことではない。海外の人を受け入れることでもない。人と人の交流だけでもない。たった1つの標識、たった1枚の看板、たった1つのウェブページに、小さく英語を入れるだけで良い。そういった内を向いたベーシックな姿勢のことのように思われる。

via: MORI LOG ACADEMY: 国際化