2006年04月20日(木曜日)


以前に一度書いたこと。そもそも老人が尊敬される存在であったのは、老人が持っている知識が有用だったからだ。「長老」と言った言葉があるように、長く生きていれば博学になり、その知識を若者は欲しがった。ところが、現代では、知識は書物など人間以外のものから得られる。また、周囲の変化が激しく、たとえば、社会のシステムから身近な電化製品まで、若者が知りたい情報を、老人たちは持っていない。それどころか、歳をとっている者ほど、これらの新しい知識に疎い。若者に教えてもらわなければ、電話もできない時代になってしまった。こうしたなかで、「年寄りを大事にする」という精神が、単なるルールのように形骸化しているのである。若者は、どうして年寄りを大事にしなければならないのか、その理由を持っていない。 見返りがなければ大事にできないか、という話をしているのではない。単に現象を客観的に述べているだけである。平均寿命も伸び、医療も発達したおかげで、昔ならば死んでいる歳の人が今は生きている。あえて、悪い表現で書くが、生き延びてはいるものの、追いついていないのは、何のために生きているのか、という老人の哲学ではないだろうか。これまでの歴史に、こういった社会はなかったので、年寄りのための精神論を語る人間もいなかった。だいたい、年寄りはそんなものに耳を貸さないだろう。

via: MORI LOG ACADEMY: 老人を敬うことについて