2006年03月29日(水曜日)


「自分を大切にする」について、よしもとばななさんが日記に書かれていて、僕も本当にそのとおりだと思ったので、少し書く。 つまり、この言葉が、普通は「逃げる」「避ける」という行為に対する言い訳的表現として用いられているが、そうばかりではない、「攻める」「壊す」に近い行為を伴わないと、自分を大切にできない場合があるのだ。守るためには攻めなくてはならないことがあるのは、戦争と同じだろう(基本的に、「防衛」だけの武力行使はありえないと僕は考えている)。 また、自分を守るために人を傷つけることがある。誰も傷つけたくない、という綺麗事がいつも通用するとは限らないことは、心に留めておくべきだ。 そもそも、人と親しくなる、愛情を持って接する、とは、つまりは傷つけ合うことでもある。小さい傷に越したことはないけれど、傷つけ合わずにいるためには、絶交以外にない。個人もそうであるし、組織でも、また民族でも、国家でも、それは同じことだと思える(国家ならば絶交は鎖国である)。 僕は、人間の関係には、基本的に3種類あると考えている。それは、親しくなれる(なりたい)関係、親しくなれない(なりたくない)関係、あと一つは、血縁関係だ。 親しくなれる関係とは、親しい関係と同じではない。いくら親しい関係でも、親しくなれない(なりたくない)関係がある。親しいか親しくないかは、偶然もあるし、またお互いに気持ちが変化することがある。しかし、親しくなれるかどうかは、ほとんど変化しない。最初の印象のままであることがほとんどだ。見誤ることも、まずない。血縁関係については、これら両者とはまた別のタイプである。 自分を大切にするために最も基本的かつ重要なことは、自分を観察するだけではなく、他人を観察し、自分との関係のあり方を見極めること、のように思われる。 ボクシングを想像すれば簡単だ。自分を大切にするためには、近くにいる相手から目を離せない。

via: MORI LOG ACADEMY: 自分を大切にする