2006年03月03日(金曜日)


本の感想で「これは、このまえの作品をさきに読まないといけない」といったことを言う人がいる。そういう人は、例外なく読書を沢山している人であり、読んだ本が既に蓄積した、いわゆる「読書の老人」である。老人は、若者に「それをやるまえにこれを」というお節介をやくものだ。若者は、どんな順番であれ、自分の好きな順にものを吸収し、自分の中で消化するだろう。知識が多くなるほど、時系列に拘り、無意識のうちに自由度を失う好例といえる。 ダイヤを掘り当てた人の伝記があったとする。人から馬鹿にされ、涙ぐましい苦労をした、と書かれている。それを読んだ人は、同じような努力をすればダイヤが掘り当てられるという気持ちになるかもしれないが、明らかに錯覚である。では「ダイヤの掘り当て方」という本が出たら買うだろうか? 人の成功とはノウハウにならない部分に本質がある。文字に還元できるものは、ほとんど役には立たないともいえる。「ダイヤの掘り当て方」という本を書いて儲ける行為は、この錯覚に依存している。

via: MORI LOG ACADEMY: いろいろ思いついたことを