2006年02月11日(土曜日)


そうしたことをするうちに、自分と他人との違いにも詳しくなる。うすうすは感じていたが、価値観の違いが浮き彫りになることがある。たとえば、正しく伝わらなかった場合の多くは、基本的な価値観が相違していたためだ、ということもわかる。 ところで、僕は、子供のときから、自分の考え方がなかなか他人にわかってもらえない、と常に感じてきた。これは仕事をするようになっても同じだった。しかし、ここが重要な点なのだが、「わかってもらえない」と感じはしたけれど、「わかってもらいたい」と感じたことはほとんどなかった。 もし僕が、自分の意見や考えをもっと理解してもらいたい、と本気で願っていたら、きっと出世しただろうし、政治的な領域にも踏み出しただろうし、リーダにもすすんでなっただろう。自分の意見を通すためには、社会的立場が必要だからだ。 わかってもらえなかった、というのは、別の言葉で表現すれば、僕の考えがわからなかった人たちが多くいた、という単なる現実把握(観察)である。もし他人が僕の考えを理解してくれて、それで僕のことを認めてくれたとしても、僕に利益はまったくない。ただ、僕の意見を採用すれば、もう少しみんなが得をした場面が少なからずあったはずだ。その機会を逃した人たちがいた、というだけのことである。その人たちは損をした。僕は別に損はしていない(自分が組織の一員だと、間接的、部分的な損が及ぶときもあったけれど)。 人にわかってもらっても、わかってもらえなくても、いずれにしても僕には無関係なのである。もう少し僕が優しくて他人のためになりたいと願っている人間だったら、もう少し歩み寄って、説得をしただろう。僕はそれが面倒でしなかっただけである。認めてもらって褒めてもらうことに価値を見出していないからだ。 こういった価値観がわかってもらえない基本的な部分だと思うが、別にわかってもらいたいとは思っていない。では、何故書いているかというと、わかったら得をする人たちがいるはずだ、と想像するからであって、もう少しくらい優しくしようと思っているわけである。

via: MORI LOG ACADEMY: わかってもらえなかった


世の中には、理屈を言葉で記号化して、それで理解してしまう(理解したつもりになる)人が多い。数学ならば、「法則」だ。「それは〜の法則だからだよ」が最終理由になるのだ。 「どうして丸い地球から南半球の人は落ちないの?」と子供に質問されたら、大人は「引力があるからだよ」と答えるが、これは、「引力」という単語1つを知っているだけのアドバンテージであり、科学的には、子供とほぼ同じ理解度といって良いだろう。引力とは何か、何故それが生じるのかを答えられなければ、レベルは同じだ。 飛行機が何故飛ぶのか。それは「主翼の断面がこんな形になっているからだ」とものの本に書いてある。そこには、上面が曲線で、下が比較的フラットないわゆる「翼形」が描かれている。その形にすると、上面の方が下面よりも空気が早く流れるため気圧差が生じて、飛行機は浮き上がるのだ、と教えている。 しかし、紙飛行機を想像すれば明らかだが、別に翼形になっていなくても、飛ぶものはある。たとえば、ベニヤ板の端にエンジンを取り付け、プロペラを回せば、それは飛んでいく。重心を合わせ、舵をつければ、コントロールも自由だ。立派な飛行機になる。翼形が単なる長方形でも、飛行機は立派に飛ぶことができる。ただ、効率が悪いだけだ。 世に数ある翼形というのは、揚力(浮き上がろうとする力)が大きく、そのわりに抵抗力が小さい形の例にすぎない。飛行機が何故飛ぶのか、という説明をするとき、あの形を理由として持ち出すのは、明らかな間違いである。

via: MORI LOG ACADEMY: 翼形