2006年01月24日(火曜日)


教え方の問題ではない。教えられる方の準備が整った、ということだ。これは、人間の教育でも同じ。あるいは、教育ではなくても、普通のコミュニケーションでも同じである。 たとえば、説明文を、ちょっと手を抜いて誤解されそうな文面にしても、あるいはもの凄く厳密にして絶対に間違いがないような表現にしても、理解する人間と誤解する人間の比率はほとんど変わらないだろう。変な文面にすると、「こんな文章では誤解する人が出るから気をつけなさい」と理解した人から叱られるだけのことである。 つまり、どんなに正しい表現で書いても、誤解は生じる。懇切丁寧に説明しても、結局は文章をよく読まないから、誤解は減らない。人間というものは、自分が思いたい方向へ思考を向けるから、線路がちゃんと敷かれていても、そのとおりには走らない。 ようするに、「素直に読む」ということがとても難しい。文章を読めば読むほど、また、知識が増えれば増えるほど、素直に読めなくなる。素直に読むために精一杯注意し、神経を集中させていないと客観的には読めない、ということである。

via: MORI LOG ACADEMY: 理解と誤解