2005年12月11日(日曜日)


2005 年は、落ち葉を拾っているうちに過ぎたといったら過言であるが、それに近い気もする。こういうのを最近の流行語で、スローライフというのだろうか。のんびりとした素敵な時間の過ごし方だ、と自分では感じる。ただし、一つだけ思うところがある。これは、思うだけで言わない方が絶対に良いことだ。しかし、この頃は作家と呼ばれてもおかしくない立場にいる僕なので、身を削り、恥ずかしい思いをしても、書くことはある。 日記を公開するのはどうしてなのか、どういう意味があることなのか、という質問のメールをいただくが、僕の場合、その答の 99%は「仕事だから」である。 そういうわけで、あえて書くけれど、スローライフを若者がいきなり目指すことは、いかがかと考えている。何故なら、スローとは絶対的なものではなく相対的な評価であって、つまり、ハイスピードを長く経験した人間が価値を感じる速度がスローだからだ。最初からスローを目指しても、それはスローではない。その人間の普通のスピードになるだけのことである。自分のトップスピードも知らずに、スローになっていてはつまらない。否、つまらないことさえわからないだろう。価値があることさえ感じられないだろう。結局は、そこへ到達できない道理である。 言っている意味が通じるだろうか。言葉として通じても、まだ半分だとは思うけれど。 さらにいえば、周囲から一見スローに見えるものの多くは、実は隠れたところでハイスピードなのだ。ゆっくり動いているようで、内部のモータは高速回転している。 だから、自分が一番しんどいと思う事柄を周囲には見えないようにする、それがスローライフへの近道であるし、その言葉の意味のほとんどだと考えて良いだろう。そんなの見せかけの、つくりものではないか、と思われるかもしれない。でも、人に見せないようにすることで、自分も穏やかになれる効果はある。したがって、見栄ばかりでもない。スローライフの価値はその程度だろう。 少なくとも、「しんどい」「私は苦労している」と表に出しているうちは、けっして到達できないのがスローライフである。 まあ、「歯を食いしばってのんびりしようぜ!」という感じか。

via: MORI LOG ACADEMY: スローライフ